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粟津征二郎の紀行エッセイ

2017-12-12 第142回 私は美貌猫のベテイちゃん でもいまはおむつの日々

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  ベテイです。16歳。人間でいえば90歳に近い。京都生まれの京美猫。大津のパパとママの家には生まれて20日余できました。亡き先輩小太郎さんが1歳でした。コタさんには可愛がられ、なめたり、ほぐしたり、いい線をいっていたのですが、縁なく終わり、以来、家のまわりを徘徊する野良のちょっかいの相手をしながら、ええ男の登場をまっていましたが、王子さまは現れぬまま歳月は過ぎてしまいました。

   過ぎし日の思い出は美しい。北米がルーツのわたし。そのせいか春から夏の草原が 好き。BSTVでパパと見た映画を覚えている。ハリウッド映画「草原の輝き」のラストにパパはポロポロ涙を流した。詩のナレーションと字幕が流れ、主人公 ナタリー・ウッドが元恋人の農場を車で去る一本道の左右には草原が輝いていた。

   草原と青春が舞台の映画は切ない。作家の村上春樹がなんども見て涙したと、パパは泣くのは自分だけでないようなことをいっている。

  パパは学生時代にこの映画見て、ナタリーに憧れたとか。わたしからいえば、夢を見すぎていると、いうしかない。

  ワーヅワースの詩「草原の輝き」は日本では一躍、有名になり、パパのお気に入り の女優ナタリー・ウッド好演で評判を呼び、うそかまことか女子大生とのデイトでこの映画の話をすると、相手の目がうるんできたなどと、パパ(私の飼い主) が教えてくれた。ナンパに使うなどもってのほかと思うが、わたしのことをあろうことか、ナタリー・ウッド、エリザベス・テーラーの再来と、家族や知人にい い、こちらが恥ずかしくなる。

  『Splendor in the Grass』詩の一節にはこうある。

  草原の輝き 花の栄光 再びそれがかえらずともなげくなかれ

  花は命を失っても後に残されたものに力をみいだそう(高瀬鎭夫訳)

  イギリスのロマン派詩人らしい表現とはパパの受け売り。そのパパは誰かの受け売りかもしれないが、そんなことは気にしない。ワーヅ・ワースの出身地 は英国湖水地方で、琵琶湖畔の大津湖国。おむつの日々の中で思いだすのは、若いころ、庭の芝生で小太郎さんと弟のボンと、じゃれあった草のざわめきで す。小太郎さんがマムシを見つけて、毛を逆立てて威嚇しながら、パンチ。マムシもカマクビ立てて対抗し、最後はコタさんが追い払いました。

  どんなもんじゃと、毛づくろいする姿は頼もしいお兄ちゃんでした。時折、わたしの顔をなめてくれたときの心のときめきは忘れません。

  わたしの趣味はサッシのガラス戸開け。庭に面したサッシ戸は結構重くて、開けるにはコツがある。弟のボンが挑戦しては失敗していた。右から左に開け るつもりでサッシに手をかけ、頭でこじあける。コタさんなんか、外へ出たくなると、「行こうか」と、誘い、わたしに集団脱走のお先棒を担がせました。

  ある日、遠出して道がわからなくなっていると、「お嬢さん、遊びませんか」と、トラ模様の野良が声をかけてきた。深入りしなければいいか。そう思っ て、ついて行くと怪しい素振りをみせ、驚いて逃げ帰りました。コタさんに「バカ、こどもができたらどうする」と、怒られました。野良さんの寿命は家猫に比 べてはるかに短い。わたしの16歳は野良さんならゆうに100歳以上に相当する。それだけ猫生の風雪は厳しく、花の時代はわずかでしかない。

  野良の雄は雌を求めてひたすら歩き、思いかなわず、死んでいく例も多いと、聞いた。

  旅から旅のさすらい。ロマンチックな響きがあり、魅かれるところがあるが、コタさんは「お前が男をしらんからだ」と、いやな説教していた。コタさん も喧嘩好きが高じて、感染症にかかり、最後は水もとらずに静かな最期でした。死の前日までふらつく足で歩き、口をあけて呼吸し「ベテイ、もうあかんわ。力 がはいらん」と、話かけました。猫の最期の頃は心拍数が下がり、スローペースになるようです。

  わたしはまだそこまで落ちていないので当分は大丈夫。でもコタさんに倣い、時期がくれば、2階の部屋にこもるつもりです。ただ、いまは、食べても食べてもおなかが減り、胃と頭の関係がおかしくなったように思います。アルツハイマーでしょう。

  人間は延命治療と称して、管で栄養補給していますが、猫は本来、死期を悟ると、姿を隠し、静かに退場します。

  今年春から毛がもつれ、便の調子がいまいちでしたが、医者の世話にならずに夏を超え、秋の気配とともに、ある朝、立てなくなりました。私の母も似たパターンで昨年旅たち、母の分まで生きるつもりが、あぶなくなっています。寒さがこたえます。

  パパは朝5時半に起床、おむつを替えてくれます。ママから介護主任の肩書をもらい、ここ1ケ月は付きっきりの介護。尻も上手に洗い、ふいてくれ、感謝しています。これだけ大事にされるなら、まだまだ長生きしなくてはと、モチベーションを高めています。

  パパは大変大変といいながら東京の長男、次男から電話がかかるたびに、楽しそうに報告しています。

  長男と次男 「おやじ、やがて来る本番の練習と思い、ベテイの世話をしっかりやるんやで」

  「あほか、ベテイはかわいいが、誰かさんと一緒にできるか。お尻の輝きが違う。この頃、つくづく女性の上司に仕える男たちに同情するわ。朝から寝るまで小言の山を発掘している」

  「そんなに違うか」

  パパはここからいつも饒舌になる。

  「ベテイには生後20日からの美しい思い出がいっぱいあるが、あの方のこども時代は知らん。これはコミュニケーションのうえで大きい。草原のざわめ きを共有の期間はごくわずか。子育てを終わり、もうこどももできない夫婦が一緒に暮らすのは文化人類学的に無理がある。まして夫婦の介護は一番むつかし い。化粧でごまかしてきた関係はしわとしみで破綻している。いま論文を書いているが、厚化粧の青春をいかに持続するか。これがテーマだ。狐とタヌキの関係 や」

  息子たちはあきれて電話を切り、それでもパパは話をやめない。わたしのことを猫のアルツハイマーらしいと、強調しているが、かわいいらしく、ババ猫でも心は子猫のまま。

  子猫時代がパパの脳裏に焼き付いているようです。

   高齢化社会における男女が日々、楽しく過ごすには、「草原の輝き」を互いに共有 するかどうかで決まる、とはパパの口癖。近々の話など忘れても、昔話が頭につまっているなら、それをたぐり寄せて会話をすればいい。相手の少年少女時代を 知らないまま結婚し、後はあらさがしに明け暮れる夫婦にとっておむつが輝いて見えるはずがない、とパパはしつこい。早くも予防線を張っています。ああ過ぎ し日は美しい。「草原の輝き」がなつかしい。

  なんとかこの冬を乗り越え、春が来て草原を歩きたい。♪♩スロー、スロー、クイック。