第67回 我輩は猫でない、猫である ②

  ベ テイの脱走趣味は、止む気配はない。重いガラス窓を両手をつかい、挑戦している。ロックがかかっていても、あきらめない。たまにロック忘れがあれば、ガラ ス戸を開け、我輩らも脱走のおこぼれにあずかるが、遠出はしない。庭の周りをうろつき、頃合を見て、家に戻る。旦那が我輩を睨んでいる。庭のガラス戸の前 を行き来する。家にはいれば、旦那が頭をどつくに違いない。家に入る格好を見せながら、通り過ぎる。
  「お 前は寅か」と、旦那の声。映画の「寅さん」が旅から戻り、柴又のおいちゃんの店の前をうろうろして、妹のさくらが「お兄ちゃん」と声をかけてノレンをくぐ る場面が毎回の定番だそうだ。寅さんもばつが悪かったのだろう。我輩も脱走の弱みがある。旦那は意地悪で見て見ぬふりをしている。意を決して、家をはい り、耳の後ろを足でかいて、ばつの悪さをつくろう。そこへ、小太郎!と、一発見舞われた。
  ベテイ以外の我輩らは逃げても、旦那は放置したままで、戻ると、パンチは男女平等の原則を逸脱している。男と女への対応はこうも違う。女に甘い助平心が透けてみえる。
  旦 那はベテイ脱走を「自由への逃走」と、学のあるところを我輩にひらけちらかし、「お前の脱走には思想がない、追随でしかない」と、差をつける。おまけに犬 の散歩のように紐でつなぎ、ベテイの散歩を始めた。我輩、ボンもお供するが、人見知りする性格のため、人が来ると、あわててしまう。旦那も我輩、ボンを連 れ出すのはやめた。
  ベテイは顔に似合わず、犬すらこわがらない。キャンキャン吠える犬など睨み返して向かっていく。尻尾まいて犬が逃げ、旦那はベテイを自慢した。確かに歩く姿は子牛さながらの迫力がある。
  ベ テイは車の同乗もへっちゃらだ。女はつくづく図太いと、思う。ところが居間のソファには寝ないで、隅の椅子の下や2階の旦那のパソコン机で眠り、一家団欒 には距離を置いている。旦那なんか、そんなベテイに「♪汽車の窓から手をふって、送ってくれたひとよりも、柱のかげで泣いていた可愛いあの娘が忘れられ ぬ」と、ベテイのふるまいを唄の文句にたとえて喜び、ママのひんしゅくをかうのが常だ。日頃のベテイと外へ出たときの図太さは、理解に苦しむが、それが女 というものらしい。トイレの後は必ず、手を拭く。ベテイは手足の先まで毛があり、ちょうど毛皮の手袋、靴の役割をはたしている。氷の上でも歩けるようにし た天の配剤だ。このため、手足の裏の毛についた砂を落とす習性がついた。
  トイレのそばには、大判カレンダーが吊るしてあり、それを上からなんどもこする。紙が破れると、付き添いの旦那が一枚めくる。トイレのカレンダーはまだ季節は5月なのに、すでに9月になっている。
  ベ テイは我輩に似て、どんくさい。2階ベランダの手すりで遊んでいて、落ちたことがある。骨折はしなかったが、捻挫して1週間ほど2階の猫ハウスに籠もり、 旦那が食事を運び、よせばいいのにスプーンで猫カンを食べさせた。以来、ベテイはカリカリ(固形)と缶詰を食べわけ、スプーンでないと缶詰を食べなくなっ た。悪い週間である。食卓での食事のさいも、彼女だけ旦那からスプーンでもらっている。我輩なんか旦那がいなくなったらどうする、と忠告するが、ベテイは 我輩とボンが猫皿で食べていても、旦那のスプーンを待っている。旦那も「お姫様」と、朝夕の食事の相手をしている。かつてのスレンダーな体は太り、大奥の お局さんだ。なにがお姫様である。旦那の留守は、カリカリで辛抱している。相思相愛の関係だろう。旦那が立っていると、後ろからズボンの裾を手でひっぱ り、抱いてくれ、とせがむ。旦那もベテイを抱いて、目を細め、我輩たちを相手にもしない。我輩なんか、「小太郎」と呼び捨てなのに「ベテイちゃん」だか ら、開いた口がふさがらない。
           ベティ
  我 輩の家族、もう一匹の子分はベテイの種違いの弟である。聞くところによると、ベテイの父が急死、母親が再婚してできた。我輩よりも5歳下である。名前はボ ン。親もとで3カ月を過ごして我が家に来た。親の愛情を受けて育ったせいか、天真爛漫の性格で、我輩はそばにいて、時おり、うらやましくなる。まさにボン である。旦那はボンと呼び、ママはレオポンという。名前が二つがあるが、どちらにも対応する器用な猫だ。ソファに座るママの近くで片手をさりげなく膝に乗 せ、ママの心をくすぐる。女たらしである。夜は布団で一緒に寝ている。ママのお気に入りだ。枕の横で添い寝している。ボンも「我輩も猫でない」と、思って いるようだ。
  旦那とママは2階で寝るが、我輩は居間の籐椅子を寝床にしている。2階はベテイとボンの寝床であるが、旦那の布団を避けてママの布団にしかはいらない。これには理由がある。
  旦那には、変な癖がある。ベテイのドア開け趣味は可愛いが、旦那の癖は「悪」がつく。
  布 団の中で屁をぶっ放すのだ。それも一発ではない。2発、3発を連発する。旦那はパチンコの確率変動3連発と、放言している。なんでもパチンコの大当たり フィバーには、確率変動大当たりというものがあり、これに当たると、2度どころか3度、4度と続けて当たりがくる。通称、確変というそうだ。自分の屁をパ チンコの連発大当たりに例えて、屁の確率変動といっている。ボンは当初、旦那の布団で寝ていたが、ある日、この確率変動に遭遇した。「臭いのに加えて音が すごい」と、我輩にこぼしたことがある。毒ガスから命からがら逃げていらい、ボンは旦那の布団にははいらない。布団にも、もぐらない。隣の布団でママと同 じスタイルで長々と寝ている。
  マ マにも癖がある。寝言が大きい。寝言は意味不明が世間の常識ながら、ママの寝言は、明瞭である。我輩など階下で寝ていてびっくりしたことがある。ボンも当 然、そのつど飛び起きていたが、いまは慣れて少々の寝言に驚かない。普通、寝言はワンフレーズ、それも短いというが、ママは会話調である。夢の中で誰かと 話している。朝食の時、「夕べはいい夢を見た」と、ひとりニヤついている。韓国ドラマの男前と親密な関係になった夢物語にちがいない。旦那の夢はいつも、 いいところで邪魔がはいり、目が覚めるという。
  ベ テイの弟、ボンはチェックマンである。トイレの世話は旦那の担当だ。朝夕、砂を交換する。水洗トイレの横にあり、旦那夫婦がトイレに座ると、ボンも連れ ションする。砂が新しいか古いかをチェック、一番トイレはボンに決まっている。ベテイ、我輩の順にするが、旦那は「砂を代えたばかりなのに、もう交換しな くてはならない」と、ぐちるが、トイレの砂が新しいからいいのであって、汚いのでは出るものも出ない。ぶつぶついいながら、旦那は我輩が終わるまでそばで 付き添い、また砂を交換している。だから朝30分は自分も新聞を持ち込み、トイレにすわり、我輩らの排便を見守っている。時間と余裕、なによりも愛がなけ ればできない。  
  我輩らはお祭り好きだ。
  ある日、「小太郎親分、てえへんだ」と、ボンが我輩に知らせてきた。
  「なんだい、ボン。泥棒でもはいったか」
  「とにかくきてくれ」
  我輩らは、郵便から宅配、新聞まで人の気配に敏感である。ずぼらな犬よりも役に立つ。我輩らの動きをみていれば、外に誰かがきたことはたちどころにわかる。防犯ベルだ。
  ボ ンのあわてぶりを叱り、聞いてみると、玄関の木に鳩が巣をつくりはじめたという。この家の玄関横の和室の窓からは、玄関の植え込みが良く見える。ボンは毎 日、ガラス越しに外の風景を楽しんでいる。アメリハナミズキ、ヤッマボウシの木が玄関のドア前にそびえている。そのヤマボウシの木に、キジバト夫婦が巣 をつくった。
  ヤ マボウシは葉が雨よけになり、巣に木漏れ日が指して、子育ての環境にいい。なによりも鳩夫婦はカラスの襲撃を避けて、人の出入りがひんぱんな玄関ドアの近 くに巣を選んだろう。和室窓から見ると、葉は外に向かって茂り、家の方は穴があいたように見通し良くなっている。鳩は、人間が襲うことはない、と、安心し ているのか、猫3匹が窓からのぞいても臆するところはない。
  「近頃のカラスは横暴だ。前の家のガレージにツバメが巣をつくり、雛が孵ったとたんにカラスが狙った。雛は無論、助けようとした親もカラスの餌食になった」
  我輩はカラスとツバメの壮絶な戦いをボンとベテイに説明した。「鳩の子どもは俺たちで守ってやろう」と、猫の警備団を編成、交代で監視することにした。旦那がドアを開けて、目の高さよりもちよっと上の巣を調べている。手の届く高さだ。
  鳩 は留守で、卵が2個ある。鳩は2個の卵を産む。「小太郎、しっかり見張れ。カラスが来たら、泣き叫べ」と、我輩に命じた。旦那は昨年の夏、庭のスイカが食 べごろになった時、カラスにやられた。怒った旦那は棒でカラスを追いかけるが、電柱の上。「こんど、この家を狙ったら、命はないと思え」と、わめいた。動 物愛護精神も、スイカをやられた悔しさでどこかへ飛んでいった。つくづく食べ物のうらみは怖いと、思った。
  「親分、てへんだ」
  「なに、カラスが来たか」
  「雛が孵った。動いている」
  我 輩らは珍しさもあり、雛を育てる鳩夫婦を終日、見て過ごした。交代で餌をとりにでかけ、口を開ける雛のくちばしに液状になった餌を与えている。ピジョンミ ルクと呼ばれ、我輩らのミルクにあたる。親鳥たちは、我輩らの目を意識しつつ、怖がるそぶりもみせない。キジバトは本来、人里離れた木に巣をつくるが、近 年、民家など人間の住まい近くに巣をかまえるようになった、と聞く。
  あ る日、旦那が我輩らにいった。「NHKTVが鳩の取材にくる。おまえたちの出番も頼んだから、そのつもりでいるように」と、ルンルン気分である。愛鳥週間 にちなみ、鳩が庭の木で雛を返し、猫が番をしている、というのが旦那の筋書きだ。NHKもこれにのった。NHKの旗を立てた車でカメラマンが取材にきた。 我輩らも当然、撮影の対象になり、ベテイなんか散歩風景までカメラにおさまり、放送当日はTV前でローカルニュースを見守った。アナが「民家の玄関に鳩が 巣づくり」と、テロップが流れ、鳩と玄関が映る。我輩らは鳩と猫の心あたたまる話がいまにも始まると、固唾を呑んで見るが、我輩らの姿は出てこなかった。 旦那の顔もでない。がっくりきた。「鳩を守る猫」として、我輩ら3匹がアップで取り上げられるはずが、あてはずれ。旦那の話と違う。ベテイは横を向いたま まだ。きっと、猫を入れて、旦那をカットするわけにはいかないから、我輩らもばっさりカットされたのにちがいない。旦那さえ、控えていてくれたら、我輩ら は、「スリーキャッツ」としてTVのレギュラーのお呼びがかかったのに。
          
  鳩は巣立ち、ボンなんかは、張り合いをなくして、いまだ、窓の外を追いかけている。我輩らにとってハトの祭りだった。
  鳩 騒動の1カ月は終わり、我輩らは床拭きのママの尻を追いかけ、手、足にちょっかいを出しては怒りを買っている。我輩らは、手伝いのつもりだ。動く雑巾の端 をかむのが、楽しい。猫の先祖は狩猟をなりわいにしていた。ネズミ捕りだ。エイジプトでは穀物を食い荒らすネズミ捕りのため、大事された。航海でも船のネ ズミ退治で世界を旅してきた船乗りである。雑巾がけのおっかけは、もはや狩猟と縁のなくなった我輩らの忘れた本能を呼び起こして、興奮させるスポーツゲー ム。先日も庭でボンが蛇を発見した。紐つきのため、動きは不自由であるが、我輩らで蛇にパンチを見舞ってやった。血が騒いだ。とぐろ巻いて鎌首をあげて反 抗する。3匹が交互に攻撃した。気づいた旦那があわてて、蛇をへっぴりごしで追い払った。マムシという毒蛇らしい。我輩らは勇敢に闘った。負けるものか。
  蛇は我輩らの天敵というのが古代エジプトの言い伝えである。エジプトでは猫は猫でなく神であった。女神バステトは頭が猫の形をしており、夜、眠り込んだ太陽を蛇から守るため、寝ずの番をした。出土したパピルスには、蛇を引き裂く猫の図があるという。
  旦那に猫史を教えてやりたい。エジプト人は火事になれば真っ先に猫を救出するらしい。蛇を見て血が騒ぐのも先祖の歴史からだ。我輩はマムシ退治の後の午睡で神像になった我輩ら3匹の夢を見た。カラスといい、マムシといい、この家を脅かす悪を3匹で守っているのだ。
   猫は神様だった
  こ こで世話役夫婦を紹介する。旦那は元新聞記者。新聞社を定年退職したいまは、腰に年金と健康保険の2本ざしで世を渡り、売れない小説と、インターネットと かいう、わけのわからん機械に雑文を書いている。本人はできばえについて表向き、謙遜をしているが、旦那にいわせると、謙遜するのは、日本古来の謙譲の美 徳という道徳らしく、中国の孔子とかいう学者までさかのぼる東洋の美風で、西洋にはないそうだ。確かに、ベテイ、ボンを見ていても、謙譲精神はまったくな い。我輩は目上を敬い、何事も控えめにするよう教えている。ただベテイの柱の影からの見学は謙譲の美徳に近い、旦那がほめていた。我輩からいわせると、ベ テイの「柱の影」は、ボンが家に来て、旦那夫婦の目がボンに集り、嫉妬がこうじてひがみのせいだ。我輩らはわけへだてなく相手にしてほしい。
     
     
  謙 譲精神あふれる旦那であるが、たまにほめられると、意気揚々としてパソコンの前に座る。この間もパソコンを傍で見ていて、旦那の手の動きにじゃれたとこ ろ、我輩の手がパソコンを押してしまい、怒られた。ママは旦那の文章にまったく関心がない。興味はデパートの買い物で、一日、店をはしごして何も買わない で帰ってくることも多い。旦那は運転手でお供するが、本屋で週刊誌の立ち読みと地下の食品売り場で試食のコーヒーや茶を飲み、我輩らにはハムの切れくずを おみやげに買ってくる。特に日本茶にはうるさい。デパ地下の試飲で腕ならぬ舌をみがいている。こう書くと、経済観念があるように見えるが、時間つぶしにパ チンコで散在して、ママから小言をもらっている。二人の仲は悪くない。しかし、良くもない。喧嘩は、いつものことだ。理由は、水道の水を飛び散らかしてい る。庭掃除をさぼるなど。ところがこの夫婦は譲るという文字を持ち合わせないから、ボヤが火事にまで発展する。いずれも炎の人だ。
  旦 那は夫婦にもプロ野球のFA制度を導入して、子どもが成人した夫婦のどちらかがフリーエージェントを宣言すると、即離婚のできる仕組みを真面目に考えてい る。結婚30年経てば、夫婦解消の権利を与えられる。政権交代した民主党を応援したのも、夫婦FA制度への期待からだ。我輩はTVに関心を持ち、TVの前 に座ることも多いが、夫婦FAの公約など聞いたことはない。支持率低迷は夫婦FA導入をしないからだ、と、いっている。民主党も迷惑な話だ。もっともFA した旦那に行く場所があるかどうか疑問である。
  旦 那は旅好きである。ところが我輩らを置いて出かけるには、せいぜい1泊旅行しかできない。カリカリを丼鉢にてんこ盛りして丸2日分の食料を用意する。車に 乗せていく手もあるが、我輩が車嫌いだ。ベテイなんか助手席にすわり、風景を眺めている。我輩は後ろの席の隙間に潜り込み、じっと耐えている。水やカリカ リを出してもらっても、車酔いで手もつけられない。旦那夫婦にとって、猫連れをあきらめ、夫婦別にでかけてどちらかが留守番するか、猫ホテルに預ける選択 しか残っていない。猫ホテルは、食事と便の世話をしてくれるが、遊びの時間はない。散歩好きのベテイなんか、たちまち、ストレス状態になる。
           ボン
  ママは、ホテルに預けて、去るさい、我輩の目が悲しそうで、旅していても落ち着かないという。ケージに入れられ、バイバイとくれば、これは捨てられたと思うのが自然だ。
  吾 輩の目を見て、心を読むママは鋭く、やさしい。旦那は、「賢くしているんだぞ」なんていい、心は旅空である。数日後、迎えにきた旦那、ママの顔を見たとき のうれしさは、表現のしようがない。ボンなどはニヤンニヤンと甘えている。旦那いわく、「再会の瞬間の猫の表情は、感動的。またこの感動を味わいたい」 と、次回をにおわせている。冗談は口だけにしてほしい。どれだけ寂しい思いをしたことか。
  ママはホテルの待遇にも不満らしく、留守中、通いの世話人を考えたが、鍵を預けることに抵抗があり、これもやめた。
  ある日、長男の嫁が出産のため入院、ママが3歳の孫の世話で1カ月留守することになった。旦那はFAの試行期間と、張り切っている。
  「ニャンコたちの世話を頼みますよ。猫の世話と読書をしなさい。本は積み木とちがうんだから」
  「いいな、いいな、旅ができて。青山あたりをうろつくのはほどほどに」
  「なにいってつうの、子どもの世話とおさんどんでそんな時間があるわけがない。そっちこそ、確率言動なんかにうつつを抜かして留守したら、天罰がくだりますよ」
  「確率言動ではなく変動だ」
  「どっちでもいいじゃない」
  こんなやりとりをしてママはでかけて行った。我輩らは、一様に不安だった。旦那は頼りない。もしかしたら、旦那にあいそをつかして出て行ったのかもしれない。切ない。
   一人になった旦那は、小言をいう相手がいなくなったせいか、開放感を味わっている。ママから電話が朝夕、はいるところをみると、喧嘩わかれでもないよう だ。旦那は近くのスーパーで出来合いを買い込み、うまそうに食事している。我輩らはそばで食事の相手をしてやる。ハムや刺身など手のかからないおかずだ。 1週間が過ぎ、我輩らも安心した。
  1カ月して、旦那は我輩らにカリカリを丼はち2杯分を与え、水道の水をチョロチョロを出して出かけた。夜になっても帰ってこない。
  「ベテイ、我輩らはどうなるのか」
  「カリカリはたっぷりあるから、いいんじゃない」と、あわてる様子もない。
  2日過ぎた。カリカリも少なくなった。さすがにベテイも落ち着かない。気の弱いボンは家の中を歩きまわっている。
  「ベテイ、万一に備えて、脱出の方法を考えなくては。得意のガラス戸開けをやってみろ」
  ベ テイはガラス戸の隙間に爪を立て、こじ開けようとするが、ロックが降りており、ビクともしない。水はあるから、食い物だけだ。食欲旺盛なボンもきょうあた りから、食欲を落としている。生きるための本能が自制させている。2日目の夜が明けた。我輩らは終日、寝て過ごした。カリカリも粒が数えられるくらいに なった。
  その時、表に足音がした。ママの声だ。我輩らは玄関のドア前に駆けつけた。ボンなどは声を張り上げている。ガチっ。ドアがあいた。
  「ただいま」
  我輩は叫んでいた。「どこにいっていたんだ」
  マ マは「小太郎が怒っている」と、頭をなんどもなぜた。我輩は普段、めったに泣かない。この日は、声張りあげて「ニヤーン」を繰り返した。旦那は「泣こうと すれば、泣けるではないか」と、再会に水をさした。ボンはママに体をすりつけ、まとわりついている。ベテイは旦那に抱っこのおねだりだ。2日半の留守は、 我輩らと、世話役夫婦の絆を深めた。我輩は幸せをかみしめた。泣くまいと思っても泣けた。「猫の号泣」と、猫の気もわからない男のジョークに、腹が立ち、 また泣いてやった。

     (この項は、旅の隙間に随時、掲載します)